露わ
八月ニ日
高給のバイトを見つけた。水商売でもこれだけ稼げる仕事はそうない。高すぎてちょっと怖い気もするが、嫌ならすぐに辞めてしまえばいいことだ。
早速、電話で問い合わせてみた。できれば長期でお願いしたいが短期でも構わないという。
危険や違法性も一切ないということであった。
夏休みだからといって遊んでばかりいられない。この機に稼ぎたいところ。
八月三日
面接は苦手。緊張する。
場所は遠くなかったが、喧騒から離れた郊外にあった。とても大きな邸宅、というよりも屋敷とでもいうのだろうか。異論なく金持ちが住む家だった。高額なアルバイト料にも納得した。
アンティークが立ち並ぶ、重厚な雰囲気が漂う部屋に通された。
品のある中年女性にいくつかの質問を受けたあと、仕事の内容の簡単な説明を受けた。
どうやら仕事は介護らしい。体の不自由な男性の身の回りの簡単な世話をする。介護福祉には興味があったし、きっと私でもできるはずだ。
八月四日
要介護者の部屋は建物の一番奥にあった。
しっかりした造りの扉をノックする。返事はない。構わず扉を開けた。
車椅子に座った男が窓のほうを向いていた。
私が部屋に入ると、男は車椅子を回転させ、こちらを向いた。
二、三秒、眼球から読み込んだ映像の処理に脳が戸惑っていたが、次第に理解した。
ああ、酷い。
八月十一日
このアルバイトを始めて一週間が経った。最初は戸惑うこともあったが、次第に慣れていった。ただ、一生かかっても受け入られそうもないこともあった。
その男には耳と眼がそれぞれ三つずつあって、鼻の下には丸い穴が空いているだけだった。
頭部の右側面、正常な場所に位置している耳よりも半分くらいの大きさで、耳たぶのない耳が、こめかみの高さの位置に付着している。常人ならば髪の毛が生えている場所に、出来損ないの耳の形をした肉片を無理矢理ハンダ付けしたような感じだった。真正面からだと目立たないが、側面からだと異様だった。
眼も、あるべきところにふたつ、普通についているが、右眼の下にひとつ余分な眼があった。この眼も、普通のふたつの眼より少し小さかった。そして吊りあがっていた。造型がほかのふたつとは似ても似つかず、まるで他人の眼のようだった。
口は唇が癒着して、溶けたように上下がくっ付いて半分以上がふさがれている。だから食事に苦労するし、ろくに話をすることもできない。意思の疎通は主に筆記で行ったが、彼が自らの意思を表に出すことはほとんどなかった。
八月十ニ日
最初は気がつかなかったが、彼が異形なのは顔だけではない。多合指症。指が六本ある。左右で十二本。また、車椅子が必要なのは筋肉が年々衰えていく病気ゆえにだった。
彼は生きていて楽しいことなどあるのだろうか。ましてや生きがいだとか、人生の目標だなんてことは考えたことすらないかもしれない。
八月十八日
彼を風呂に入れるのはけっこう力仕事だ。そのあと、備え付けのサウナに移動させてやる。
彼はいつでも無表情で無口だった。外見のせいもあるだろうが、相手が何を考えているのかわからないというのは不気味だ。
私は事務的に仕事をこなした。
八月十九日
彼の顔は、見えはしないが誰しもが持っている心の醜い部分が露出してしまっているようだ。
なぜ、彼のような異形の姿で生まれた人間が生かされたのか。富豪の家に生まれたが幸であったか不幸であったか。
彼は自分の醜い容貌のせいか、家族にすら心を開くことはない。自分の殻に閉じこもり、何を考えているのかこの世の誰ひとりとしてわからない。本人を除いては。
何かを呪い続けているのか。あるいは考えることを、思うことを、感じることさえやめてしまっているかのように私には映った。
八月二十二日
それを見つけたのは、彼が風呂に入っている間に部屋の掃除をしていたときだった。
机の上に置いてあった。彼の日記だった。いつもはなかったはずだ。しまい忘れたのだろう。
他人の日記を盗み読みするなど許されたことではないが、好奇心には勝てなかった。私は躊躇いながらもページを捲った。
八月二十三日
なんだろうこの感覚は。嫌悪感? 不安感? 恐怖感? 全部だ。
まさか、あんなことが書いてあるなんて。やはり彼の日記など読むべきではなかった。
今日限りでアルバイトを辞めたとして、彼は私のことをあきらめるだろうか。履歴書から私の身元は割れている。
――彼は私のことを愛している。
当然、私は応えることなどできない。それどころか彼が私のことをそんなふうに見ているのだと思うと、ぞっとする。
それに、それだけじゃない。あの日記に書かれていたことは普通じゃなかった。
八月二十四日
彼の顔をまともに見ることができなくなった。あの眼で私の何を見ているのだろう。相変わらず彼の顔は無表情で、何を考えているのか読みとれない。
でも、本当は。
たえられない。日記を読んでしまった日から、頭から離れない。
明日だ。明日
八月ニ十五日
いつものように、風呂のあとに彼をサウナに入れた。そしていつもならすることのない鍵を掛けた。
設定温度を一八○度にする。通常の倍以上の温度。
温度計はぐんぐん上昇する。
さらに最高の摂氏ニ○○度まで上げる。
しばらくして中から激しい物音と叫び声が聞こえてきた。高温の室内の床を転げまわる音、何かを壁に投げつける音。言葉にならない奇声と呻き声。
ここは地下。声も音も、他の者に届くことはない。
私は恐ろしくて体が奮えた。
今ならまだ助かる。
鍵を外すんだ。
扉に聞き耳をたてる。
扉の向こう側で引っ掻く音が聞こえた。
私は想像する。大きく見開かれた不揃いの三つの眼玉が水気をなくしていく様を。扉を引っ掻く爪は剥がれ落ち、六本の指先から血が噴き出す。火傷で焼けただれた全身の皮膚は赤と黄色の斑模様となる。やがて皮膚は完全に溶けて敏感な肉が剥き出しになる。その生々しい肉も次第に黒く焦げていく。彼の醜い顔と体は、いっそう醜く変形する。
いまさら鍵は外せない。
中から音が聞こえなくなると、今度は堪えがたい異臭が鼻をついた。
そこで私は扉を開けようとしたが、その途端、獣ともつかない呻き声が一瞬聞こえ、私はその場から逃げ出していた。
八月三十一日
今日も目覚めが悪い。ただ、悪夢を見ることは少なくなってきた。
あれから何もない。警察が訊ねてくることもなかった。
あの後、彼が助かったとは思えない。警察には通報せずに内々で処理したのだろうか。あの家ならそれもありえなくはないが。そもそも、彼がいなくなって一番ほっとしているのはあの家族かもしれない。
当然、私の気持ちは晴れたものではなかったが、あの男が私のことを思い続けているという事実と、あの日記に書かれたことが実行されることはもうないのだ。
彼はもうこの世にいない。
最後の日記
今日から学校だった。この夏のことは何もかも忘れてしまいたい、そう思っていた。
朝、目覚めると激しいめまいと寒気に襲われた。
こみあげる異常な吐き気。違和感。口もとを押さえながら洗面所へ。
その時に初めて気がついた。
指が六本ある……。
私はまだ悪夢を見ているのだろうか。嫌な予感でいっぱいになる。
私は恐る恐る鏡を覗き込んだ。
いやだ……。なんでこんな……。
そこにはあの男とそっくりの顔が映っていた。
癒着した上下の唇。鼻の下にぽっかり空いた空洞……。
そして右眼の下、ひとつ余分の吊り上がった彼のものと同じ眼が、鏡の中で恨めしそうに私を見ていた。
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